正論2026年3月号に、衆議院議員 石橋林太郎氏による「中国共産党による臓器”収奪”を許さない」 の記事が掲載されました。
中国共産党による臓器”収奪”を許さない
前衆議院議員石橋林太郎
いしばし・りんたろう
昭和五十三年、広島市生まれ。大阪外国語大学中退。平成二十七年、
広島県議会議員に初当選。令和三年の衆院選比例中国ブロックに立候補し初当選。
令和六年に再選し現在二期目。父は広島の教育改革に尽力した元広島県議の故・石橋良三。
二十一世紀になった現代において、臓器目当ての殺人とその臓器を使った移植手術が実施されているという話を耳にし「強制臓器収奪」の問題を初めて知った時、私はどこか現実離れしていて、にわかには信じがたいと思いました。
しかし、調査報告を聞き、レポ ートを読み、証言に触れるうち、この「強制臓器収奪」の問題は現在進行形だと確信するに至りました。
現在、私が国政の場で取り組んでいるこの問題は、単なる特定の国家や体制に対する批判ではありません。
これは、私たちが「人間」として、あるいは「基本的人権、法の支配、自由、民主主義を重んじる近代国家」として、超えてはならない一線をどこに引くのかという、極めて根源的な問いです。
この問題は、遠い異国の出来事として片付けられるものではありません。日本の医療、日本の法律、そして私たち日本人の生命のあり方そのものに深く関わっているのです。
一人の政治家として、そしてこの問題を注視し続けてきた一人として、その真実と、わが国が今なすべきことについて提言させていただきたいと思います。
突きつけられた衝撃の「事実」
そもそも私が中国による「強制臓器収奪」という問題に出会ったのは、広島県議会議員を務めていた時期に遡ります。地元・広島で開催されたあるドキュメンタリー映画の上映会に足を運んだことが、すべてのはじまりでした。映画のタイトルは『人狩り』。そこで描かれていたのは、中国において国家の管理下で組織的に行われているとされる信じがたい「強制臓器収奪」の実態でした。
しかし、映像以上に私の心を激しく揺さぶったことがありました。それは、その場に証言者として登壇された、ウイグル出身の元外科医、エンヴァー・トフティ氏の告白でした。彼は、かつて中国のウルムチにある鉄道病院に勤務していた際、上司の命令によって処刑場へ赴き、自らの手で臓器を摘出した経験を持つ人物です。
語り口こそ淡々としていましたが、彼が語ったその内容は、私の想像を絶するものでした。ある日上司から「特別な仕事があるから頼む」と言われて医師と看護師数名のチームで指定された日の朝、処刑場に行ったそうです。
別室で待機していると「パーン」という銃声を耳にして、その後に死刑囚が運ばれてきて、臓器を取り出そうとしたら、その死刑囚は右胸を撃たれてはいるが、まだ生きていたというんです。その状態で「臓器を出せ」と命令され摘出したという話でした。
そして摘出した臓器を特別なボックスに入れて誰かが運んでいくと上司からは「このことは誰にも言うな」と言われたそうです。
処刑されたはずの死刑囚は撃たれていましたが、まだ息があって 心臓が動いていたそうです。トフティ氏は、死の恐怖に怯えるその人間から、生きたまま臓器を取り出すよう命じられたというのです。
当時の彼は、国家による徹底し た教育で「彼ら(死刑囚)は国家の敵である」「こいつは悪い奴だ」と信じていたそうです。洗脳されており疑問を抱くことなどなく、むしろ自分の行為は正義の行いだと信じて疑わなかったと話しました。
トフティ氏は核実験の調査もしていましたので被爆地、広島にも強い思いを持っていました。そこで私は「いつか私が主催してトフティさんを広島に呼ぶのでその時は是非、広島にいらしてください」。そう約束して別れました。
トフティ氏は中国当局による迫害を逃れるため現在亡命先で暮らしています。
自らの手を血に染めた悔恨を背負いながら、命懸けで真実を伝えようとしている人がいる。ならば、自由で平和な日本に生きる私が、見て見ぬふりをして良いはずがない。こうして私は「中国共産党による強制臓器収奪問題」に関わることになりました。
地方から国を動かす
まず私は広島にいる法輪功の方々と一緒に小規模な上映会から取り組みを始めました。
また、県議だった私にとってこの問題は初めて県外の地方議員と連携する場にもなりました。逗子市議の丸山治章さん、柏崎市議(当時)の三井田孝欧さんなど私より前からこの問題に取り組んでいる仲間との出会いがありました。お互いの活動や地域の反応など意見交換をしながら、それぞれの地元で地方議員として地道な啓発活動に取り組んでいました。
活動を始めた当初、社会の反応はいたって冷ややかでした。ウイグルや法輪功への弾圧については少しずつニュースになり始めてはいましたが「臓器を奪うために健康な人間を殺害している」という話は、多くの日本人にとってあまりに現実離れした荒唐無稽な話に聞こえてしまう。私自身もそうだったように、まるで一種の「都市伝説」や「陰謀論」のように受け取られてしまうのです。
当時、私たちは国会議員にもこの問題を国会で取り上げてもらえないかと相談に回りました。しかし、返ってくるのは「確かな証拠(エビデンス)がなければ、政府として動くことは難しい。国際機関が動くのを待つしかない」という反応でした。
ですが証拠を隠蔽する相手に対して「証拠が出てくるまで待つ」というのでは犠牲者を見捨てるも同然です。突きつけられた高い壁にみんなで頭を抱えました。それでも自分たちのできることをやろうと上映会などの啓発活動を続けるうち、地方議員の仲間も少しずつ増え、ジャーナリストの故・野村旗守氏のお力添えもあり台湾の団体との接点を持つようにもなりました。
そこで、私たちは、外交評論家として知られた故・加瀬英明氏を会長に迎え、自分たちの活動を「SMGネットワーク(ストップ・メディカル・ジェノサイド)」として組織化することとなりました。
SMGネットワークの結成にあたり、加瀬会長からは次の二つの方針が示されました。
一つ目は私たちの活動は、アンチ中国の活動ではなく、法輪功学習者などの「良心の囚人」をはじめとする迫害を受けている人たちの生命を守る「人権問題」としての取り組みであるということ。
二つ目が、私たちは、中国共産党に対して強制臓器収奪をやめさせる直接的効果的な手段を持ち合わせていない。よって私たちは、国内法の整備による渡航移植の制限と国内での移植医療の充実により、間接的ではあるが強制的に収奪された臓器による移植手術に日本人が巻き込まれないようにすることを目指す―というものです。
この方針に示される通り、私た ちは単に「中国が嫌いだから」という理由で活動しているのではありません。加瀬氏が常々説かれていたことですが、臓器収奪というのは普遍的な「人権と生命の尊厳」を侵す大問題です。人間の命を部品や道具のように扱う社会を許してしまえば、その刃はいつか必ず私たち自身の社会にも向けられると思うのです。
日本は「沈黙」し続けるのか
国会議員となり、厚労省や外務省の役人と議論を重ねる中で、私は改めて日本特有の深刻な課題に直面しました。それは、日本人がこの問題を「対岸の火事」だと思っている間に、実際には知らず知らずのうちに、この収奪システムに組み込まれてしまっているという現実です。
例えば、現在、日本には約三十万人以上の透析患者がいらっしゃいます。その多くが臓器移植を待ち望んでいますが、国内のドナー不足のために、何年も、時には十年以上も待機し続けなければなりません。
腎臓ばかりではありません。心臓も肝臓も肺など他の臓器も、不足が深刻である点は同じです。移植まで数年も待つのが当たり前になっており、その間に亡くなる方も少なくありません。待機リストに載ることすら間に合わないケースさえあります。
生命の危機と向き合うなかで「藁をも掴みたい」という切実な願いに、悪質な渡航移植ブローカーが近づいてきて利用している、といえます。
「中国へ行けば、わずか数週間で適合する臓器が見つかり、手術が受けられる」
この異常な早さの裏側には、誰かの犠牲が隠れている可能性が極めて高い。適合するドナーが「注文」に合わせて用意されているのではないか、という疑念は国際社会ではもはや常識となっていますが、日本では必ずしもそうとはいえません。
さらに深刻なのは、国内の法的・医療的な不備です。かつて、不透明な渡航移植を受けた患者に対し、国内の大学病院が「医療倫理の観点から、収奪に関与した疑いのある移植後のフォローアップは行えない」と拒否し、裁判になった事例があります。
裁判所は病院側の判断を適法と認めましたが、これは患者側から見れば「命を助けたい一心で受けた治療のせいで、自国の医療から見放される」という悲劇でもあります。
イスタンブール宣言と法整備
なぜこのようなことが起きるのか。それは、日本に「臓器の供給源が不透明な海外移植」を明確に規制し、同時に国内の移植体制を整備するための、確固たる法律が存在しないからです。
国際社会では「臓器の供給源が不透明な海外移植」を規制しようという流れが明確にあります。臓器売買や臓器摘出を目的とした人身取引、そしてそれに伴う「移植ツーリズム(渡航移植)」に反対して臓器提供の自給自足と金銭的中立性を原則にしようという国際会議が二〇〇八年に開かれました。
そこで倫理指針としてイスタンブール宣言が採択されました。日本国内の主要学会も支持を表明し、倫理的な移植医療の推進と違法な臓器取引防止を呼びかけています。裁判となった大学病院の取り組みもこうした国際的な潮流を踏まえて実効性あるものにしようという先駆的な取り組みです。
人権上問題のある臓器移植を受容しないよう法整備に取り組む動きも広がっています。
移植ツーリズムを禁止する動きで言えば、自国民が海外で不透明な臓器移植を受けて帰国することを規制する国々があります。イスラエルやスペイン、イタリア、台湾などは、法的に渡航移植の商業的なあっせんや取引を禁止または規制をしています。
臓器取引を犯罪と捉える動きもあります。 例えば欧州評議会(Council of Europe)では、臓器売買や、それに伴う人身売買を犯罪とする条約(CETS No. 216)を採択し、加盟国に批准を促しています。
米国では二〇二五年に「強制臓器採取禁止法(Stop Forced Organ Harvesting Act of 2025)」が提案され、臓器売買に加担した者への制裁や、渡航移植の監視を強化する動きが法案化されました。
海外への渡航制限や診療を拒否する動きもあります。前述した大学病院もそうですが、移植を受けた国の医療体制に問題がある場合、渡航移植者に対する国内でのフォローアップ診療を制限し、禁止するのです。
日本の大学病院では今、倫理指針などを定め「原則違法性のある臓器移植を受けられたと判断された場合は当院での診療はお断りする」と掲げる動きが広がっています。
問題は日本の場合、世界的な問題意識と大きなギャップがあることです。私たちがどんなに訴えてもなかなか浸透しません。世論の関心は低く、マスコミ報道もほとんどありません。人権上問題のある臓器移植を行った場合はフォローアップの治療を日本の病院では受けられない。そんな話を一体どれだけの日本国民が認識しているでしょうか。中国の臓器収奪の深刻さがどれほど知られているでしょうか。
臓器不足を解消するには
私は中国の臓器収奪は決して看過できないと考えていますが、残念ながら直接それをやめさせる手立てをもちません。
なので、手の届く国内での課題に取り組みたいと思います。それは、日本の移植医療を充実させ臓器移植に一縷の望みを抱いている人たちの臓器移植の機会を増やし、臓器移植の可能性を広げること。一縷の望みを胸に渡航移植にすがる流れを止めるには欠かせないと考えます。
臓器提供者をいかに増やすか。例えば日本の医師の臨床現場で臓器提供を呼びかける心理的ハードルが非常に高い現実があります。死の淵にある患者に対し最後の最後までその命を救うために力を尽くす。それを求められる医師の側から積極的に脳死を認めて臓器を提供するようご家族に働きかけるのは簡単なことではありません。これが現実です。
亡くなる直前の患者の家族に移植の話を切り出す。その苦しさは、恐らく私の想像を超えます。しかし、その「沈黙」が、海の向こうでの「需要」を生み出し、非人道的な収奪を助長してしまっている。この過酷な連鎖を断ち切るためにどうするか。そこに政治の役割がある気がしてなりません。
例えば、まず医療機関側に臓器移植を推進する体制整備や経済的なインセンティブがないこと。臓器移植を実施するには、患者の治療にあたる医療スタッフとは別の手厚い陣容が確保されなければなりません。
医療機関の負担はこれだけではありません。保険制度などの医療制度上も臓器移植をやればやるほど割に合わない。積極的に臓器移植に取り組む医療機関が少ない背景にはこうした課題があることも見えてきました。
命のバトンを繋ぐ政策提言
私は現在、以下の三つの柱を中 心とした法整備を模索しています。
ひとつは渡航移植に対する厳格 な規制と「透明化」を図っていくことです。個人の渡航の自由を完全に禁じることはできませんが、「人権侵害に加担する医療」については厳しい制限を設けるべきだと私は思います。
具体的には、海外で移植手術を受けた国民には、帰国後の詳細な報告を義務付ける制度を構築すべきでしょう。その臓器がどこで、どのようなプロセスを経て提供されたのか、倫理的な証明がなされない場合には、公的な支援を制限するなどの措置を検討すべきです。すでにイスラエルや台湾、オーストラリアなどは、このような法的枠組みを導入し、国民が「意図せぬ殺人」に加担することを防いでいます。
次に国内移植体制を抜本的に強化するためのインセンティブを導
入すること。規制と同時に、国内で安心して移植が受けられる環境を整えなければなりません。まず考えられるのは臓器提供に関わる医師や看護師、コーディネーターらの過酷な労働に対し、適正な報酬と評価、公的なバックアップを行う体制を整えるための公的な支援を考えたいと思います。
ドナー本人やその家族に敬意が向けられるような支援の創設も考えられると思います。例えば、臓器提供の意思を示した方やそのご家族の火葬費用の公的負担や、将来的にその家族が移植を必要とした際の優先順位の考慮など、社会全体で「命のバトンリレー」を支える。そんな仕組みを築くべく検討が必要です。
法律に基づき臓器の斡旋を行うことができる唯一の機関が日本臓器移植ネットワークという公益財団です。この組織も抜本的な改革が必要です。現在、同ネットワークが臓器移植をめぐるあらゆる問題の唯一の窓口となっていますが、この組織のマンパワーを大幅に強化し、全国の病院からの要請に即応できる二十四時間体制の専門チームを構築しなければ臓器移植は増えないでしょう。
そしてもうひとつ。日本政府による本格的な「実態調査」です。中国の「臓器収奪」もそうですが、これまで日本政府は「客観的な証拠が確認できない」として、静観の構えを貫いてきました。しかし国際社会のさまざまな報告書や各国の議会決議を無視し続けることはもはやできません。
他国の情報に頼るだけでなく、日本政府自らが独自の調査機関を設けるか、専門家会議を設置して実態把握に乗り出すべきです。真実から目を逸らしていては、いかなる解決策も生まれません。
かつてナチスが行ったホロコーストですが、戦後の世界は「知らなかった」という言い訳で済ませることなど許しませんでした。今、私たちの目の前で、高度な医療技術という仮面を被り、人知れず「命が刈り取られている」。そしてその影で日本人が人道に反する臓器の受け手として関わっているかもしれない。そうした問題に真正面から向き合う必要がある。私はこの問題を通じて私たち自身のあり方が、また日本の国家としてのあり方が問われていると考えています。








