共産党と法輪功:衝突するアイデンティティ
デービッド・マタス
(2017年7月5日、英国ブライトンでのInternational Academic Forumで発表された所見)
なぜ純粋で罪のない人々、法輪功の気功をする学習者が、中国国内で臓器のために殺されているのでしょうか。共産党と法輪功という二つのアイデンティティにこの悲劇をもたらした根本的な要因があるのです。我々が対応しているのはただの残虐主義ではなく、アイデンティティの衝突なのです。
この運命は法輪功学習者のせいでもあると示唆しているわけではありません。他の犠牲者と同様、法輪功学習者は無実なのですから。
法輪功の犠牲化を説明するには、加害者に焦点をあてる必要があります。犠牲化においてその犠牲者を責めることは、現実的でなく不条理なことです。加害者が、法輪功学習者を選んで犠牲化していることから加害者の本質を知ることが出来ます。
犠牲者を理解するためには、その脆弱性を知ることが重要です。法輪功は脆弱なため、中国共産党の最も邪悪な要素の標的になりやすいのです。
ここでは、中国共産党というアイデンティティの様々な側面を通して、共産党がいかに法輪功の弱みにつけこんでいるかを示していきます。私が焦点をあてる側面とは、信仰への不寛容、管理への執念、モダニズム、物質至上主義、残虐行為、機密性、プロパガンダ、不安、忠誠心の強要、道具化です。
信仰への寛容の欠如
宗教を見下すことは党文化の要素の一つです。共産主義者は無神論者です。しかしそれ以上に、共産党は信仰心のある人を愚か者だと軽蔑します。カール・マルクスは「宗教は大衆の麻薬」としています。
共産党の教義では、宗教とは「迫害者が抑圧者に課す苦痛をやわらげる目的で投薬される麻薬である」としています。宗教、つまり来世における幸福への信念を通して、抑圧された人々は現世における苦しみから癒されるという意味です。
理想的に機能している共産主義社会に宗教は存在しません。共産主義とは経済的抑圧を取り除くことが目的です。その苦痛を忘れるためのアヘンは不要なのです。共産主義社会での宗教の存在は、共産主義の失敗を受け入れたことを意味するのです。
アヘンは何もないところから現れるわけではなく、密売者が、アヘンを求め続ける中毒者を生み出し、完全に掌握する目的で売られます。宗教に対しても共産党はこのように分析しています。
中国共産党の法輪功に対するプロパガンダの一部は法輪功創始者の李洪志氏に対する激しい非難です。共産党は李氏を「人々をペテンにかけ…致死的な」ことに従事する「カルトの教祖」であり、自身を「神」と崇めさせるとしています。李氏は悪質に人々を誤導し、中国国内でトラブルを起こすよう外国人(おそらく私も含まれるのでしょう)をけしかけているというのが共産党の見解です。
当然のことながら、法輪功学習者はこれらの非難を心外と受け止めます。しかし、法輪功の非難ではありますが、個人攻撃ではないのです。多様な宗教に対する共産党の日常的なプロパガンダであり、精神性全般に対する共産党の典型的な立場と言えましょう。
共産主義は精神性を全く理解せず、単に物質的な価値でとらえます。つまり、共産主義者の目には、精神性の指導者が尊敬され崇められていると映ります。騙されていると思います。敬意を払わせるものを一切理解せず、宗教指導者が信者を何らかの形でペテンにかけ敬意を払わせていると見るのです。
管理支配への根深い執念
共産党文化の二つ目の要素は管理への執念です。どの政党も権力は望みます。でなければ政党として成立しませんから。
しかし共産党のこの「管理支配」への執念は度を越えています。中国憲法からうかがい知ることができます。
中国憲法の序文では「毛沢東首席を指導者とする中国共産党が率いるあらゆる国籍の中国人民」そして「中国共産党及びマルクス・レーニン主義、毛沢東思想の指導のもとのあらゆる国籍の中国人民」「中国共産党の指導のもと、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論および重要な三つの代表の思想」が言及されています。「三つの代表」とはこれまでの中国共産党指導者と江沢民国家主席が書いた党規約の名称です。
さらに、序文は「中国共産党の指導により幅広く統一された愛国心の前線」を加え、「中国共産党の指導下における多党政党制度と政治協議は…」と続きます。
読み手が忘れることのないように、中国憲法は「中国共産党の指導」を五回も繰り返しています。見逃すことは不可能です。
この指導権は単に助言や模範を示すものではありません。中国が独裁国家であることは憲法で定められています。
中国憲法の序文で「労働者と農民の同盟を基盤とする労働者階級が率いる人民民主主義独裁(つまりプロレタリアによる独裁)の国家が結成され発展した」とも記されています。加えて、「あらゆる国籍の中国人民は、人民の民主的な独裁政権に今後も従うものとする」とも加えられています。
憲法第1条:「中華人民共和国は労働者階級が領導し、労農同盟を基礎とする人民民主独裁の社会主義国家である」、憲法第3条:「中華人民共和国の国家機構は、民主中央政権制の原則を実行する」と記されているのです。
中国憲法は中国が独裁国家である旨を3度主張し、その中核となる規則を強調するために別の言い方でも表現しています。中国の独裁政権は、邪悪な支配者の気まぐれではなく、法体制なのです。
中国憲法は宗教の自由を含んだ人権の文言をいくつも明記しています。しかし、法的文書は、全体として理解しなければなりません。中国憲法に記載されている「宗教の自由」の保障は制限付で説明されており、中国共産党の独裁政権が指導する下での「宗教の自由」がその中核にあります。
共産主義の人権に関する視点はユーリ・アンドロポフとミクロス・ハラスティにより要約されています。アンドロポフはレオニード・ブレジネフの後継者であり、ソ連邦の指導者でもありました。彼は率直にそして不吉な知らせであるかのように次のように語っています。
「社会の利益と個々の利益が一致するソビエト連邦国民は、民主的自由の完全な展望を感じ取ることができる。(市民と社会の利益が)一致しない場合は別の問題である」
ハンガリー人の作家ミクロス・ハラスティ氏はこう記しています。
「革命内で完全なる自由を得、革命に反すれば、自由は存在しない」
中国共産党と国家の関係は、他の民主主義国家とは全く異なります。民主主義国家では政府が統治しますが、中国では共産党が国家を統治しています。国家機能は操り人形に過ぎず、糸を引くのは中国共産党です。
あらゆるレベルの政治・法的機関の要職に共産党員が配置されています。国家は党の表の顔にすぎないのです。
頂点では党と国家は並行しています。中国共産党の最高指導者が国家の最高指導者なのです。頂点以外の場所では、二つのシステムは分離しており、党の役員が国家の役人に指示をします。中国では共産党はあらゆるところに存在し、閉ざされた扉の裏で、政策、裁決、法規の施行や方法について決定が下されています。
党が法制度を支配しているため、共産党に法規が適用されることはありません。さらに、党の政策や行動が法に反する場合もありますが、それを指摘する者は制度に存在しません。
最高裁判所の最高人民法院・小楊(シャオ・ヤン)裁判官は2007年にこう言っています。
「独立裁判をする法廷の権限は、共産党からの独立を意味していません。逆に、党当局と同レベルで、その責務をかなり担っています」
中国には法の支配は存在しません。中国共産主義者の言葉に置き換えれば、「中国での法規制は、党の支配」を意味します。
この管理支配への執念は、中国国内の全ての宗教に直接、影響を及ぼしており、中国内のカトリック教司祭、ダライ・ラマの後継者としてのパンチェン・ラマ、イスラム教のイマームは中国共産党に指名されています。
しかし司祭や司教といったヒエラルキーがなく引率者もいない法輪功には、キリスト教やイスラム教、仏教を骨抜きにする手法は適用できません。もし中国政府が法輪功の指導者を指名することができたとしたら、法輪功は政府の操り人形となり、中国国内での弾圧は逃れられたことでしょう。法輪功の本質を考えれば上からの管理は不可能です。このため法輪功学習者が特に攻撃されやすくなったのです。
信仰への寛容の欠如、管理支配への執念という共産党のこの二面は、皮肉にも習近平の下に集中しています。習近平の指導下において、宗教とは党が管理する「団体」ではなく、党の管理手段となってしまったのです。
中国の刑法は「迷信的な宗教や、秘密組織、異様な宗教組織」を利用し「…国家の法や行政規則、規律の施行を揺るがすこと」を禁じています。迷信的な宗教や秘密組織、異様な宗教組織は禁止されているわけではありません。「国家の法や行政規則の施行を揺るがす」ものだけが禁止されているのです。
「国家の法や行政規則の施行を揺るがす」という文言は、中国共産党政権を密かに転覆させることを中国では暗示します。従って、中国共産党政権を揺るがすことのない「迷信的な宗教、秘密組織、異様な宗教組織」は禁止されていません。
この刑法の文言の表現から、迷信的でない宗教団体、秘密でない組織、奇妙ではない宗教団体なら国家の法や行政規則を害しても問題ないとういことを示唆します。しかし、逆に解釈すれば、中国共産党と共産党規則の観点から法規の施行を揺るがすとされるセクト、協会、宗教機関は、「迷信的、機密性、異様」な要素を持つ団体とみなされるのです。
今日、中国共産党は自己正当化の一環として仏教の要素を取り入れています。共産党指導者であり中国国家主席の習近平はこう述べています。「人々に信仰があれば、国には希望があり、国家は強くなる」。中国共産党が、仏教の一部の側面には寛容であり、その発展を促す立場にもあることを示す言葉です。
今日の中国共産党は、アヘンの影響下で気持ちの落ち着いた大量の人間が中国共産党の規律を受け入れるためのものとして、躊躇なくアヘンとして宗教を利用しています。共産党は、資本主義の抑圧者が宗教を権力支配のツールとして利用したと理解し、実践しているのです。
現代主義
中国共産党文化の三つ目の要素は現代主義の重視です。共産党は自己を過去の植民地主義と封建主義から脱却させた新しいものとみなしています。中国共産党にとっての共産主義は、帝国主義的な国外からの統治、封建統治指導者、資本主義を打倒するものなのです。
中国共産党は従来の共産党の経済思想に愛国主義をかなり取り入れました。憲法には、中国国民を通し、共産党を通して「国家権力を支配し、国の支配者になる」と記載されています。
現代主義の一面に、技術革新を誇りとすることが挙げられます。党が誇りとする技術革新の一つが移植手術の能力です。
中国政府が法輪功迫害を始めて以来、複数の省庁の五カ年計画に臓器移植が組み込まれてきました。2001年には衛生部の第十次五カ年計画に臓器移植規制の設定が盛り込まれました。2004年には国家保健科学技術開発の第十次五カ年計画に主要な研究分野と主要技術として臓器移植技術が加わりました。2008年には、第十一回全国主要技術研究開発プログラムの主要プロジェクトとして、臓器移植が再び含まれました。2011年以来、第十二次五カ年国家主要技術研究開発プログラムや、その他の国家特別計画等において臓器移植は取り上げられているのです。
2000年以来、中国の国家計画、プログラム、その他の国家基金に取り入れられた、臓器移植に関する数多くのプロジェクトは、中国の未来の世界的発展を推進するための「包括的で主要な新興産業」の一つでした。軍、中央政権、地方自治体は、国内の医療機関に多額に投資し、臓器移植分野の基礎研究開発を行い、臓器移植産業化を促進してきました。
共産主義とは外国からの中国へ輸入された概念です。共産主義のイデオロギーの基盤はドイツ人のカール・マルクスとロシア人のウラジーミル・レーニンとレオン・トロツキーにより築かれました。中国の地で共産主義者が統治することは実に皮肉なことです。中国共産党は自己の規律を正当化するために国外からの干渉に反対する立場をとっていますが、事実上、中国に国外のイデオロギーを構築しているのです。
これとは対照的に、法輪功は地に根ざした正当的な従来の中国を意味します。中国への到来は共産主義よりはるかに後のことですが、中国古代の精神修練法なのです。新唐人TVという主に法輪功学習者が運営するグローバルなテレビ局があります。唐は、紀元618年~907年の中国の王朝です。
中国共産党は、法輪功は後退であり、共産党が中国を支配する以前の時代に逆戻りすると捉えます。法輪功が普及するということは、中国共産党が残した爪痕はさておき、まるで中国共産党が存在しなかったかのように従来の中国が継続していくと解釈できるのです。
物質至上主義
共産党の精神性に対する懐疑主義の裏側には物質至上主義があります。マルクス主義者の元々の分析では、ヘーゲル歴史哲学の弁証法を唯物弁証法に置き換えています。
共産主義はもともと「能力のある人から、必要とする人へ」という社会主義を取り込んでいました。社会共産主義は共同体主義(コミュニタリアニズム)の一つの形態だったのです。
中国国家主席兼党書記の鄧小平の指導下、これらの全てが変わりました。鄧は「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」と言いました。経済システムを隠喩したもので、社会主義であれ資本主義であれ、中国経済に富をもたらすのなら良い、という意味です。
鄧はまた「社会主義体制と市場経済の間には根本的な矛盾はない」と述べました。しかし、何を全体の目標にしているかによります。目標が「必要とする人へ」であるのなら、社会主義システムと市場経済の間には根本的な矛盾があります。しかし目標が「国家の富」なら矛盾はなくなります。
鄧はまた「一部の人々が最初に富を得るように」とも述べています。社会主義の理念である収入の平等を明確に拒絶した言葉です。
鄧の資本主義志向は軍隊にも広がりました。1985年、鄧は、削減された予算の不足分を埋めるために、人民解放軍が自ら収入を得ることを許す指令を出しています。中国の軍隊は公的資金による運営から企業経営へと転換しました。今日の軍は複合企業です。腐敗ではなく国家政策から派生しているのです。軍の活動資金を集めるために国家が認可している手段なのです。
この経済理念のシフトは中国全体に影響を与えました。医療関係者や医療機関は利潤を第一義にするとは思われないため、医療部門への影響は劇的なものでした。多くの資本主義国家でも、保健制度は必要とする者に平等に提供できるように設定されています。
しかし、中国では金がものをいうようになりました。保健制度は、中国の他の制度と同様に、金儲けのための事業となったのです。その最先端に置かれたのが移植手術でした。
中国における社会主義から市場経済への移行で、大きな役割を果たしたのが保健システムでした。1980年より保健衛生部門の予算削減が始まり、不足分は利用者負担で賄うこととなりました。1980年以降、政府負担の保健衛生費は36%から17%に激減し、患者の自己負担額は20%から59%へと激増。世界銀行の調査では、この公的医療保険の削減は民間部門のコスト上昇でさらに悪化したと報告されています。
心臓血管外科専門医フ・ウェイミン氏によれば、彼の勤務先の病院への国家予算は、従業員の給与1ヶ月分にも満たず、「現状の制度のもとでは、病院は生き残りをかけて利潤を追求せざるを得ません」と語っています。「農村部の病院は十分な収益源を編み出さなければならなかった」と中国の人権に関する報告書は記述しています。臓器販売は病院の資金源となり、病院の閉鎖を免れ、他の医療サービスをコミュニティに提供できる手段なのです。
中国の移植センターや一般病院の多くは、臓器移植のレシピエントを資金源とする軍事施設で、軍事病院は衛生部から独立して運営されています。臓器移植から得られた資金は移植施設の運営費を上回ります。軍事予算全体の資金源ともなっているのです。
例えば、北京の武装警察総合病院の臓器移植センターは大胆にも下記のように述べています。
「我々の臓器移植センターはお金を稼ぐ為の主要部門です。2003年の総収入は1607万元でした。2004年の1月から6月までの収入は1357万元でした。今年(2004年)は、3000万元を突破する見込みです」
金への執念で動く医療制度にとって、法輪功学習者からの臓器調達は無尽蔵の資金源と化したのです。法輪功学習者は無防備で組織化されていませんでした。数十万人が任意的に拘束されていました。彼らは誹謗中傷され非人格化されました。故郷の家族、隣人、友人、上司を護るために逮捕されても身元を明かさなかったので、標的にしやすかったのです。法輪功学習者の臓器は健康そのものでした。軍や軍事病院にとって囚人へのアクセスは容易です。こうして法輪功学習者は極度に危険な状態に置かれたグループとなりました。
残虐性
中国共産党の歴史は長く残虐です。罪のない人々への大量殺戮は法輪功以前より行われていました。毛沢東による大飢饉、文化大革命、天安門広場の虐殺がありました。共産党の手は血で染められているのです。
毛沢東政権下での1959年から1961年の大飢饉は、工業化と産業労働者のための余剰農作物の生産決定に基づく共産党の政策に基づくものでした。農民はこの剰余を生み出す為に、自己の糧以上の生産を強いられました。
当時は零細農業で、共産党政権の政策が必要とする余剰量はありませんでした。このため農民が飢え死にしても、人工的に余剰生産を作り出すために食糧を強制的に奪っていました。餓死の犠牲者数は2千万から4千3百万人と推定されています。
ヤン・ジシェン氏は2008年、次のように述べています。
「信陽市では、穀物倉庫の前で人々は餓えていました。『共産党、毛沢東、我々を救ってくれ』と叫びながら死んでいきました。河南省と河北省の穀物倉庫が開かれていれば、誰も死亡しなかったはずです。党の役員は目の前で大量に餓死していく人々を見ても助けようとしませんでした。彼らの懸念は穀物の輸送義務の遂行だけでした」
1966年から1971年まで続いた文化大革命での大量殺戮は、下記の5つの形態が見受けられました。
1) 犠牲者は屈辱を受け、暴徒に殺されるか、公共の場で自殺させられる
2) 無防備の民間人が武装警官に殺される
3) 地方の治安高官、民兵、暴徒に民衆の階級敵とみなされた者を虐殺させる
4) 陰謀の疑惑がある者を尋問中に拷問死させる
5) 武力紛争がある派閥の捕虜は即座に処刑される
ユン・チアン(張戎)・ジョン・ハリデイ夫妻共著の『マオ 誰も知らなかった毛沢東』には、文化革命について次のように書かれています。
「少なくとも3百万人が無残な死を遂げ、毛沢東後の指導者は全人口の9分の1にあたる1億人がなんらかの形で苦しんだことを認めている」
最近では1989年の天安門広場の虐殺がありました。中国軍は広場を占領していた100万人以上の人々に向かって警告なしに無作為に発砲しました。集まった人々は民主主義のためのデモを行っていました。兵士達は逃げる人々に向かって発砲しました。殺された人の中には、負傷者を助けようとした医療関係者も含まれていました。死者は2000人を超えると推定されています。
臓器の為に罪のない人々を殺すことは、農民を餓死させたり、階級敵を任意に屈辱・拷問・殺害したり、民主主義のデモで学生たちを虐殺することと同様に残虐です。残虐行為は行為者を麻痺させます。自己の行為や命の尊さに鈍感です。慣れてしまうので、共産党にとって残虐であることは容易になります。
機密性
政府の多くの側面と同様に、中国共産党の機密性は度を越えています。中国政府は世界でも最も機密性の高い政府に挙げられます。ティモシー・ゲラットは次のように述べています。
「『機密性の前提』とは、情報の流れに中華人民共和国のアプローチを浸透させることと言えるかもしれない」
中国共産党は、党の規律を破壊しかねない情報を敵が入手するのではないかという偏執的な妄想を抱いています。中国の法律は、少なくともうわべだけは、より開放的な制度を擁するために、折々更新されています。しかし、機密性の文化は中国共産党の意識に深く刻み込まれており、取り除くことは事実上、不可能です。
中国での臓器移植に関する記録から、この機密性への執念は明確に窺えます。たとえば、中国衛生部は、ある時、移植用の臓器はほぼ全て囚人から来ていると認めました。これらの囚人は死刑を宣告された者で、良心の囚人ではないと主張しました。中国では何人が死刑を宣告されるのでしょうか? 中国政府は、死刑囚の数は国家機密であるとしています。
もう一つの例をあげましょう。『血まみれの臓器狩り』報告の調査に当たっている時、デービッド・キルガーと私は香港の中国肝臓移植登録システムから移植に関する有益情報を集めることが出来ました。しかし『血まみれの臓器狩り』が出版されると中国肝臓移植登録システムの統計の集計データへのアクセスが閉鎖されました。ログイン名とパスワードを同システムから発行してもらった者だけがアクセス可能となりました。
2010年8月にバンクーバーで開催された移植大会で、当時、中国肝移植登記所の副主任だった王海波氏が私と同じセッションで発表しました。なぜ登録システムのウェブサイト上のデータへの一般からのアクセスがシャットダウンされたのか、その復興は可能かと彼に尋ねたところ、人々がデータを「誤って解釈している」ため、公共のアクセスは閉鎖されたということでした。今、アクセスする場合、データ使用の目的を登録システム側が把握し、彼らの視点から、「誤って解釈」されない確信が持てることが求められます。
中国の医療制度下に、肝臓、腎臓、心臓、肺の四つの移植登録システムがあり、肝臓の香港以外に、腎臓と心臓は北京に、肺は無錫にあります。この三つのサイトでも登録システム側からログイン名とパスワードを発行された者しかアクセスできない内容になりました。
臓器移植に関する記録から読み取れることは、初期の秘密保持から少しずつ情報公開へと移行していくことはなく、逆行したということです。集計数値を公開していた香港の肝臓移植登録システムのデータが、すでに遮断されました。機密保護でなく隠蔽にあたります。
中国での臓器移植の現状が洞察できるウェブサイト上の情報は次々と取り除かされていきました。一例として、我々の報告書にも引用した、移植の待機日数の短さに関するウェブ上の情報が挙げられます。短い待機時間とは、臓器のための殺害を意味しています。
中国国際移植支援センターのウェブサイトでは「適切な(腎臓の)ドナーを見つけ出すのに1週間しかかからず、最大でも1カ月…」とありました。さらに「ドナーの臓器に何らかの問題が発生した場合、患者は別の臓器を提供され、1週間以内に再手術を受けるオプションがあります」とも記されていました。2006年4月上旬、東方臓器移植センターのウェブサイトでは「(適切な肝臓のための)平均待機日数は2週間」と主張しています。また上海の長征病院でも「肝臓の供給における平均待機日数はどの患者も1週間」と記載していました。
現在これらのウェブサイトにアクセスしても上記の内容は見つけることができません。我々がアーカイブしたウェブサイト www.organharvestinvestigation.net でのみ見ることができます。
これは一貫した動きです。調査者たちが中国側の正式情報を引用すると、その情報源が必ずと言っていいほど消えてしまうのです。
法輪功学習者は、共産党の度を越えた機密主義と同じくらい度を越えてオープンです。先にも言及したように、彼らの基本理念の一つに「真」があります。法輪功学習者はこの原則を真摯に受け止めており、特に精励な学習者は、自身や周りの人に対して秘密や隠しごとがほとんどありません。
多くの人権侵害を受けた犠牲者達とは異なり、拘束施設や中国から出た人々は、再度トラウマに遭いながらも、中国で起こった自身の体験談を話して、証拠を提供してくれます。中国で何が起きているのかを伝えられる貴重な情報源です。このような法輪功学習者達の率直な態度は、共産党の怒りをさらに掻き立てます。
中国の憲法自体は「真」に言及しています。
「中国の新民主主義革命の勝利と社会主義者の成功は、中国共産党のリーダーシップとマルクス・レーニン主義と毛沢東思想の指導の下で、真実を掲げ、誤謬を訂正し、多くの困難と苦難を乗り越えることにより、あらゆる国籍の中国人によって達成された」
「真実を掲げ、誤謬を訂正する」という憲法上の価値は、中国における「宗教の自由」同様、共産党の独裁が著しい状況下で文脈を理解する必要があります。ミコルーシュ・ハラスティ氏の言葉を言い換えると「党を支援していれば完全な真実、党に逆らえば真実はゼロ」ということになります。
プロパガンダ
中国共産党は機密主義ですが、決して黙秘はしません。逆にプロパガンダは不可欠だと考えているのです。中国政府はプロパガンダを共産党の活力としています。
中国共産党のプロパガンダには出版と検閲の両面があります。国内向けと国外向けに分かれています。国外向けのプロパガンダは、中国人用とそれ以外に対象を分けています。多数の外国人が中国を訪問しているため、国内の宣伝部の責任者は、外国人の聴衆も念頭に入れることが求められているからです。
中国語のプロパガンダは外国語のものより攻撃的で。外国語のプロパガンダは批判から身を護る役割を担います。中国語プロパガンダは共産党の目標の是認促進を目的とします。
大紀元、新唐人TV、希望の声などの法輪功メディアを除いて、中国国外の中国語メディアはほぼ全て、中国共産党のプロパガンダです。党は海外の中国語メディアに無料でニュースを提供しています。メディアが拒否できない申し出です。
彼らのプロパガンダの媒体は通常のラジオ、テレビ、新聞に留まりません。ソーシャルメディアなどのインターネット、海外での中国テレビ局CCTV 4、文化活動、孔子学院を含む海外での中国語教育の支援、会議や文化ツアーなどの企画にも及びます。
ソーシャルメディアに関しては、中国共産党は投稿要員を雇っており、その数は250,000から300,000名と推定されています。ソーシャルメディア活動のデータ分析と漏洩された政府のメールから、党が毎年約4億4800万件を投稿していることが判明しています。
党はプロパガンダで法輪功の中傷をしていますが、実際の法輪功の特徴とは似ても似つかない内容です。党のプロパガンダは極端な悪魔化であり、吸血、(自分の子供を食べることも含む)人喰い、強制売春、誘導自殺など、考えられる全ての犯罪で、法輪功を批難しています。
非人間化と残忍性との繋がりは迫害によく見られます。迫害はほとんど常に言葉からはじまるのです。
法輪功への嫌悪を煽る言葉は、偏狭なものに対する嫌悪のように、影響力があります。最も影響力のある場所は、否認されることが一切ない中国国内です。しかしこの誘発はどこにでも影響しています。
民主主義国家では、中国のプロパガンダを全て受け入れるべきでないことを知っているはずです。しかし、火のないところに煙はたたぬ、とする傾向があるのも事実です。中国国内の看守や病院は臓器摘出目的で法輪功学習者を殺害しても処刑されないことを知っています。党の法輪功に対するプロパガンダはそれほど邪悪なのです。
法輪功学習者のコミュニティは、組織化、構造化、系統化された中国共産党の大掛かりなプロパガンダに対抗するには弱い立場にあります。法輪功のメディアはボランティアから構成されています。学習者達は、人権専門家や研究者や著者ではありません。組織化されない法輪功という現象は、中国共産党の絶大なプロパガンダの前では断然不利な立場に置かれています。
不安感
中国での宗教は、抗議デモを通しての大衆運動から抗議運動へ、そして抗議運動から暴動へと発展した長い歴史があります。中国共産党はこの歴史を認識しており、法輪功が同じことを繰り返すのではと危機感を抱いています。
宗教をめぐる大衆運動によって引き起こされた反乱の一部を挙げましょう。
・黄巾の乱―山東省の道教信者が率いた動きで紀元184年の反乱へと発展。30年かけて鎮圧。道教信者が身に着けていた黄色いスカーフに因む。
・五斗米道(ごとべいどう)―中国の四川地方で同じく道教信者による宗教運動。これも反乱となり30年続く。
・紅巾の乱―仏教とマニ教が混同した白蓮教運動。抗議運動が1351年~1368年の反乱へと発展。
・白蓮教―課税に抗議した白蓮教による運動。抗議運動が1796年~1804年の反乱へと発展。
・太平天国―キリスト教を紐帯とする組織の抗議運動。抗議運動が1851年~1864年の「太平天国の乱」に発展。
・杜文秀(と・ぶんしゅう)―中国西部のイスラム教の抗議運動。抗議運動が1856年~1872年の反乱へと発展。
・ドンガン人―上記と重複する近郊のイスラム教徒による抗議運動。最初の抗議運動は1862年~1877年の「回民の乱」に発展。2度目の乱は1895年~1896年。
・義和団―道教、仏教、武道が組み合わさったもの。1899年~1901年の「義和団の乱」で、外国からきたキリスト教の宣教師と中国のキリスト教徒を攻撃し殺害。
中国共産党は、共産主義世界が大衆運動により崩壊されていくのを目の当たりにしました。北京で法輪功学習者が多数集まったときも党の幹部はこの歴史背景を認識していました。
共産党は、1999年4月、法輪功学習者を中傷する論文を青少年科学技術誌に掲載しました。数多くの法輪功学習者が天津の編集室前で抗議しましたが、逮捕と警察からの暴行に終わりました。
これらの逮捕に抗議申請するため、1999年4月25日、1万~1万5千人の法輪功学習者が夜明けから夜遅くまで、北京の紫禁城の隣にある中南海の共産党本部の前に集まりました。この集会はビラや宣伝のない静かなものでした。
しかし、天安門広場の虐殺事件以来、北京最大の抗議集会となり、党は事前の警告がなかったこの集会に驚かされました。
同日、江沢民・国家主席/党書記は中国共産党中央政治局常務委員宛てにこの集会について次のような手紙を送りました。
「人間や霊に気づかれることなく、1万人以上が共産党/国家権力の門の前に集まりました。インターネットから法輪功学習者団体の連絡先を迅速に見つけられることができたにも関わらず、関係部門は事前にこの集会ことは一切知りませんでした。この事件は、89年事件以降、最も多くの参加者が集いました。私は小規模なものが大きくなるのを防ぐべきであり、全ての主要な出来事を我々に報告する必要があることを繰り返し強調してきました。1992年以来、法輪功は、党員、党幹部、知識人、軍人、労働者、農民というかなりの数の社会集団の活動に関与しましたが、私たちは警戒することはありませんでした。このことを私は深く恥じています」
ここで言及されている「89年事件」とは天安門広場での虐殺事件の共産党による婉曲表現です。
法輪功の抗議運動は、歴史上で反乱を起こしたほかの宗教の抗議運動とは異なります。まず第一に、法輪功は組織ではないのです。第二に、彼らは非暴力的なのです。
パラノイアは現実世界が見えなくなります。江沢民は現実を把握していたはずだという方もいることでしょう。しかし、一つの説明が分かっていなかったことを証明します。
法輪功には共産党向けに法輪功について説明するための代表やスポークスマンはいません。法輪功が非組織的だったからこそ、中国共産党が作り上げた偏執的な神話を払拭することが難しかったのです。
不安感やパラノイアは公式の中国共産党の教義にはありません。実際的は真逆です。現在の主席で党書記である習近平は党にこう求めています。「我々の選んだ道に自信を持ち、我々の政治体制に自信を持ち、我々の指導理論に自信を持ち、我々の文化に自信を持つ」。習は中国を「眠る獅子」と呼んでいます。アメリカのヘンリー・ポールソン元財務長官は習の見解として「安定維持に不可欠なことは強靭な党だと」と語っています。
自信を求め、威力を主張することは、裏を返せば不安の現れです。もし共産主義者が強靭な党が安定性を保つのに不可欠とするのなら、不安定を恐れているのです。
法輪功は共産党の目には彼らの恐れる不安定に映りました。共産党との繋がりの欠如、多数の学習者、動員能力が、少なくとも一部の党幹部にとって脅威だったのです。
忠誠心の強要
デービッド・キルガーと私が報告書を公に発表し始めると、中国政府は信じがたいような様々な反論をしてきました。中国の正式な情報源からの引用は、誤った引用だと主張しました。しかし、それらの情報はそのまま公式ウェブサイトに掲載されたままでした。
彼らは様々な引用文に賛同しませんでした。しかし、彼らが反論する私たちの引用は、我々が言ったことのないものでした。でっち上げられた引用文を、私たちの調査報告書上で検索しましたが、検索結果はなく、我々の言葉ではありませんでした。
共産党は我々の研究は噂に基づいていると主張しました。しかしデービッド・キルガーと私は弁護士であり、噂や又聞き情報を参照することを徹底して避けています。
中国共産党は我々が法輪功に操られていると非難しました。しかし、デービッドも私も法輪功学習者ではありません。法輪功は一連の気功の動作から成ることを党は認識していないかもしれませんが、我々は認識しています。一連の気功の動作に操られるという概念そのものが言語上、意味をなしません。
最も奇妙なことに、彼らは我々を反中国としました。しかし、もし我々が本当に反中国であるのなら、中国国内での中国人による中国人の殺害には無関心のはずです。デービッドも私も中国との個人的な関係はありません。反中国だという批判には根拠がありません。中国で人権侵害に対処するために多くの時間と努力を払ってきているのですから。
誤った引用や述懐、噂、法輪功が陰で糸を引くという主張は、全て正しくありません。正しければ、我々の調査に対しての、もっともな回答になりえたのですが。
我々が反中国であるという告発は不思議なものでした。当初、我々の調査批判とどう関係するのか理解に苦しみました。中国共産党が調査を批判として捉えた理由に、共産党は自身を中国と同一のものと考えていることが挙げられます。中国共産党にとって、反共産主義とは反中国なのです。我々の調査は共産党を悪く反映していますので、共産党にとっては中国を悪く反映していることを意味したのです。
共産党と中国との同一化は党文化に深く浸透しており、党は両者を区別することができません。中国共産党にとって、共産党とは中国を指し、中国とは共産党を意味します。
その意識は党への忠誠と密接に結びつていると捉えることができます。2017年1月、中国の公共部門で教育とメディアに携わる管理職は、仕事を失いたくなかったら党への忠誠に関する新規則を実践するよう命じられました。同月、党は「司法と法執行の専門家は…党への絶対の忠誠を誓うものとする」という声明を発表しました。その文書には、党への忠誠心を保証するための訓練と厳格な監視が実施されるとありました。
中国と党の同一化は法輪功のコミュニティには存在しません。中国法輪功は共産党と中国を分離して見ています。彼らの忠誠心は自己の信念にあり、党の中国支配ではないのです。
道具化
中国共産党の荒涼たる姿を示してきました。党は一丸となってまとまっている訳ではありません。党内でも実質的な討論があるのです。
党は民主的に選ばれたわけではないので、中国の支配権は権力闘争により決定されます。これらの権力闘争は、民主主義、人権、法輪功など多くの代替問題に焦点を当てています。
党が法輪功弾圧を決定する直前に、党の高官が、「法輪功は健康法」と述べたことが記録されています。1999年2月に発表された中国スポーツ委員会の高官は法輪功を次のように公に賞賛しています。
「法輪功と気功を取り入れることで、一人ひとりの医療費を1年あたり1000元節約することが可能です。1億人が取り入れているとすれば、医療費は年間約1000億元の節約となります」
内部の覚書を見ながら、さらに加えています。
「朱鎔基首相は大変満足しています。今、この節約分が使えるのです」
報道によると、スポーツ委員会の委員長、伍紹祖(ウ・シャオズ)氏は気功の熱狂的な支持者だと述べています。
温家宝首相は2012年3月14日、中南海の密室での共産党会議の席で、臓器収奪について次のように語ったと報告されています。
「麻酔なしに、人間の臓器を生きたまま収奪しお金で売るということは人間が出来ることなのでしょうか。これは何年にもわたり続いています。我々の政権引退は間近に迫っているが依然この問題を解決出来ていない。王立軍の事件は世界中に知れられているので、これを利用し、薄熙来を処罰するべきだ。法輪功問題の解決は自然でなければならない」
党は翌日、薄が重慶市共産党委員会書記としての地位を失ったと発表したのです。
中国での密室の共産党会議での出来事は、公的記録とは異なり検証ができません。この時点で公になったことは、法輪功学習者が臓器のために殺害されているという情報への検閲解除でした。2012年3月下旬、公式に認可されている中国の検索エンジンBaiduで、臓器移植に関する検索結果は、デービッド・キルガーと私が行った調査報告『血まみれの臓器狩り』、薄熙来と王立軍の臓器収奪への関与に関する情報でした。
連続した二人の首相、朱鎔基と温家宝は法輪功に好意的であり、一人は弾圧に反対し、もう一人は弾圧解除を支持していました。しかし、これには単に無実の人を守りたいという理念以上のものがありました。中国の首相は国家と党の構造の頂点に位置していて、主席の一歩下にいるわけです。温首相が薄熙来に指示したという言葉から、法輪功問題は党内の権力争いに利用されていることが窺えます。
法輪功弾圧の決定は、党内に並列する権威構造「610弁公室」を発足させました。1999年6月10日、党は法輪功弾圧の目的で「610弁公室」を設置したのです。「610弁公室」は事務所のようなものではなく、国内全域にわたるネットワークです。警察署、官営企業、官僚全てに「610弁公室」が設置されています。党の触手が中国全土に広がっているのです。
当時の江沢民・党首/国家主席は、法輪功の弾圧を積極的に推進してきました。「610弁公室」は江沢民と彼の取り巻きのための並列権力の構造でした。江沢民の派閥にとって、法輪功の弾圧は、党全体に統制の触手を広げる手段だったのです。
中国では戦略のセンスがなければ、国家主席や党書記にはなれません。江沢民が法輪功に反対した理由の一部として、党・国家への政治的支配権の拡張の一助になったことも挙げられるのではないでしょうか。自分の法輪功への見解を全て信じて迫害に臨んだとしても、党内での政治的な影響力の側面も否めない動機でしょう。
結論
現在の中国は、信仰への寛容の欠如、管理支配への執念、現代主義、物質至上主義、史上に残る残虐性、機密性、プロパガンダ、不安感、忠誠心の強要、無実の人々を権力論争の駒に利用する政党が統治する一方で、非組織的で、広く普及し、精神性、誠意、伝統を基盤とし、大量の人間を動員でき、共産主義を信ぜず、忠誠心もない法輪功の動きがあります。この組み合わせは、中国にとって災難となっています。