野村旗守氏のブログより転載させていただきました
医療ではなく産業 恐るべき中国臓器狩り
(月刊『Hanada』3月号掲載)
ノンフィクションライター
野村旗守
魔の行いは今も
元中国国家主席江沢民の号令で開始された法輪功に対する迫害は、間違いなく今世紀最大の人権弾圧の1つだ。
その範囲は中国大陸にとどまらず、台湾、香港など法輪信者が多く居住する国や地域、その他欧米諸国や東アジア、東南アジア各国など中国大使館や領事館のある場所ならどこにでも広がり、信者のみならず、その家族や縁者らに対する嫌がらせが続いている。規模だけではない。世界に冠たる拷問文化の国柄だけに、共産党政府による迫害の種類と手段は、じつに多岐多様にわたる。軍や警察、諜報機関などを駆使し、信仰を放棄しない者に対しては、長時間に及ぶ殴打、電気ショック、集団による性暴力、薬物強要、過酷な強制労働、睡眠剥奪、言葉による侮辱や脅迫等々、およそ考え得るすべての方法を総動員して転向を迫る。
しかし、なかでも突出して凶悪かつ仮借ない迫害が、昏睡状態にした信者の生体から心臓、肝臓、腎臓、角膜などの主要臓器・器官を盗み取る「臓器狩り」の蛮行である。
法輪功に対する本格的な迫害が開始されたのは90年代の終盤に遡る。この頃、法輪功の信者はすでに7000万人を突破し、中国共産党の党員数を凌駕していた。
1999年4月、天津での信者不当逮捕を受け、法輪功のメンバ-約1万人が中南海を囲んで無言の抗議行動を起こした。これに脅威を感じた当時の最高指導者江沢民は、7月20日、法輪功に対する殲滅作戦の開始を宣言する。
「3ヵ月以内に法輪功を消滅させよ」「肉体を消滅させ、名誉を失墜させ、財力を奪え」 警察により拘束された法輪功信者が残忍な拷問を受けた上で人体実験に利用された――などの例は既に2000年代初頭から聴こえていたが、「臓器狩り」が事実として浮上してきたのは2006年4月のことだ。
移植認可病院である遼寧省の蘇家屯医院で夫が医師として働いていたという「アニー」と名乗った中国人女性が、ワシントンDCで開かれたシンポジウムで衝撃的な証言を行ったのである。彼女自身も、病院の職員として長年勤務していたという生々しい体験談は、聴くもの魂を戦慄させた。――彼女の夫は二年あまりにあいだに2000件ほどの角膜摘出手術を行い、そのたびに月給の何十倍もの現金が支給されていたという。角膜だけではない。心臓、腎臓、肝臓、肺臓……目ぼしい臓器を抜かれて空洞同然となった法輪功信者の遺体は、そのままボイラーに放り込まれてつぎつぎ焼却されていった。……
彼女の証言を皮切りに、中国共産党の魔の行いである「臓器狩り」の実態調査に乗り出したのが、二人のカナダ人、デイビッド・マタスとデイビッド・キルガーだった。
マタスはカナダで人権派弁護士として知られ、民間に与えられる最高栄誉であるカナダ勲章を受章した法曹界の大物。一方のキルガーは、弁護士資格を持ちながら国会議員も務め、アジア太平洋担当大臣などの要職を歴任した政界の重鎮でもあった。
直ちに行動を開始した両名は、主に調査官による電話調査によって証拠を集めた。そして06年7月に最初の調査報告を、07年1月に2度目の調査報告書を提出した。彼らが可能な限りで入手したデータを元に、法理論を駆使して得た結論は、1度目も、2度目も、おなじだった。
「法輪功信者に対する組織的な臓器狩りは確かに行われ、そして現在も続いている」
移植手術を希望する中国人患者たちのあいだで、法輪功信者の臓器はとりわけ歓迎されるという。彼らはおなじ民族である上、信仰上の理由から酒もタバコもやらずに健康的な生活を送っているので、臓器源としてきわめて優秀なのだ。
移殖件数は年間6万~10万件
2人のデイビッドによる調査結果は、2009年、『Bloody Harvest(邦題=中国臓器狩り、アスペクト)』として1冊にまとめられた。そして、この調査報告が、中国で行われている臓器売買の事実を世界に伝搬し、各国の議会とメディアを動かしたのである。
結果、08年には、イスラエルで最初の臓器移植法が成立して移植手術のための中国への渡航が禁止となり、国際移植学界が臓器売買と移植ツーリズムの禁止を求めた「イスタンブール宣言」を採択。2010年にはスペインが移植ツーリズムと臓器売買に対応できるように刑法を修正し、昨年には台湾が人体移植に関する法改正を行って事実上中国大陸への移植渡航を禁止した。
そして、世界を震撼させた2006年レポートからちょうど10年目の2016年は、中国「臓器狩り」問題に関しふたたびエポックメイキングな年となった。
6月13日、米下院議会は「移植臓器販売の目的で宗教犯、政治犯を殺害することは、言語道断な行為であり、生命の基本的権利に対する耐え難い侵害である」として、「すべての良心の囚人からの臓器狩りを即刻停止することを中華人民共和国政府と中国共産党に要求する」などの条文を含む六項目の決議案三四三号を採択した。
さらに同月22日には、「中国臓器狩り」の両デイビッドが更新した新たな調査結果に、独自のルートで調査を進めていたシカゴ生まれのロンドン在住ジャーナリスト、イーサン・ガットマンが加わり、共同で最新報告書を発表する。
現在三人は、680ページ(脚注2400)に及ぶこの最新調査報告書を携え、世界をまわって「今なお続いている迫害」の現状を訴えている真っ最中だ。
厳重に秘匿に付されている中国の臓器移植手術の提供源や周辺事情を調査するにあたって、両デイビッドが採用した調査方法は、電話による抜き打ち取材だった。昨年9月から今年6の約10ヵ月間にわたり、調査員を雇って患者家族を装い、移植認可を受けた中国国内169の病院に電話を掛け、病院の施設状況や手術内容を直接聞き出す方法だ。さらにはネット上にある各病院のウェブサイトや刊行物なども参考にしながら、病床数、利用率、職員数、助成金・賞与金などの詳細事項も調べていった。その結果、驚くべき事実が判明するのである。
中国当局が公式にアナウンスしている年間の移植手術数は「約1万件」だが、実際にはこれより遥かに多いことがわかったのだ。
移植設備のあるこれらの国家認定レベルの病院は、稼働率が軒並み100%を超え、患者1人あたり1ヵ月を入院期間と想定すると、例えば病床数500の天津第一中心病院では年間約8000件の手術が行われていることになる。このようにして調査していったところ、中国における臓器移植件数は、年間6万件から10万件に及ぶことが判明した。公式発表のじつに6倍から10倍である。
マタス、キルガーの両デイビッドは、最新状況の報告のためオーストラリア、ニュージランドを歴訪した後、11月30日に東京入りした。
到着当日、法輪功信者に対する迫害と臓器狩りの事実を扱った映画『Human Harvest(邦題=人狩り)』の上映会に出席した2人は、翌12月1日、参議院議員会館で開かれた公聴会で列席した国会議員やマスコミ関係者らを前に最新事情の報告と質疑応答を行う。さらに翌2日には、文京区のシビックホールで一般聴衆を招いてシンポジウムを開催した。
両氏が 筆者とのインタビューに応じたのは、最終日の二日、文京シビックホールで開かれたシンポジウムの後だった。
二人のデイビッドインタビュー
――「臓器狩り問題」は中共政府にとってもっとも知られたくない“不都合な真実だ”。調査は困難を極めたと思うが?
マタス 現場に立ち会った者は加害者か犠牲者かであり、傍観者はいない。犠牲者は絶命し、跡形も残らないように焼却される。犠牲者はまるで神隠しにあったように地上から姿を消し、加害者である医師や警察がみずからの魔の行いを告白するはずもない。
――しかし、だからと言って、中国の公式発表を鵜呑みにすることは出来ない。
マタス もちろんだ。中国当局は当初、移植医療の成果と技術の高さを誇るため、大袈裟な数字を発表していた。ところが、世界から「臓器狩り」に疑惑の目が向けられると、今度は非常に控えめな数字を言いはじめた。そこで我々は、中央の当局に当たるのではなく、全国各地で移植手術を行っている病院に直接アプローチする方法に切り替えた。中央政府は、料金表や待機時間の短さなど、臓器移植ツアーを宣伝するウェブサイトをつぎつぎに消去するなど隠蔽工作に力を入れているが、個々の病院はまだそれほどでもない。電話で問い合わせすると、ある意味正直に商売気を出して詳細な情報を伝えてくる。
――中国当局は移植臓器の供給源は死刑囚だと説明しているが?
マタス 中国の法律では死刑囚からの臓器摘出は許容されている。中国が世界最大の死刑大国だが、その数は国家機密であり、公表されていない。しかし、一般には「年間数千人」と言われる。これが事実とすれば、我々の割り出した年間の移植件数とまったく釣り合わない。
――最新報告では「年間6万から10万件」ということだが、では、残りの5万件以上の臓器はどこから来るのか?
キルガー 「良心の囚人」からとしか考えられない。なかでも最大多数を占めるのが、囚われた法輪功信者であることは間違いない。我々の調査員が中国全域の病院、拘束施設他に電話を入れ、家族に移植が必要だが、法輪功の臓器は販売されているのか――と、問い合わせた。多くの病院が法輪功信者を臓器源としていることを認めた。他に、政治犯として捉えられたチベット人やウイグル人、あるいは中国家庭教会のクリスチャンも犠牲になっているという報告がある。――が、とにかく法輪功信者が他を圧していることは疑いようがない。
――中共政府はなぜそれほど執拗に法輪功を弾圧するのか?
キルガー 歴史上、特定の宗教集団に対する弾圧や迫害は、そのほとんどが、独裁権力によるものだった。信仰は独裁者以外への忠誠心を引き起こすため、独裁政権は自分以外の宗教を毛嫌いする。中国共産党の独裁政権はすべての宗教と敵対する姿勢をとっており、このことが法輪功への迫害の第一の理由となっている。そして、迫害は現在なお続いている。…………
しかし――と、マタスは嘆く。
「臓器収奪のための信者大量殺害という俄には信じがたい邪悪な犯罪が現在進行形で続いているというのに、そして、その確実な証跡が確認されているというのに、この驚愕の事実に対する世界の反応はまったく釣り合っていません」
マタスによれば、世界の中国研究者、政治家、ジャーナリストがこの重大犯罪に関心を寄せないのは、無知から来るものではないという。中共政府とのあいだに波風立たせたくない、既得権益を失いたくない、そして新たな利得の機会を失いたくない――が故の、きわめて消極的かつ打算的な理由によるものであるというのだ。
「その手術は私がやった」
そして今回、最新調査報告書を作成するにあたって新たな報告者として加わったのが、、ユダヤ系アメリカ人ジャーナリスト、イーサン・ガットマンだった。
ブルッキングス研究所、自由議会財団など、ワシントンのシンクタンク勤務を経た後、フリーランスのジャーナリストとなったガットマンは中国問題に関心を寄せた。そして北京滞在中の1999年7月の天安門広場で、江沢民により「邪教」として非合法指定された法輪功信者の一斉摘発に遭遇するのである。老女を含む無防備の市民が多数、警察によって無理矢理バスに押し込まれ、強制的にどこかへ連行される現場に立ち会った。
道に迷った観光客を装って一部始終を目撃したガットマンは、「自分のなかのユダヤ人の血が騒いだ」という。この問題が間違いなく中国最大級の社会問題になると確信した彼は、本格的な取材活動を開始する。
この時期、全国の強制労働所が猛烈な勢いで拡大され50万から100万人の法輪功信者が送り込まれたと推定される。ガットマンは釈放された信者たちを中心に、国外へ逃亡した中国人の関係者に可能な限りの面会を求め、聴き取り調査を行った。その数、7年間で120人以上。――労働所のなかでは、信者たちが信仰を棄てるよう強要され、転向を拒否した者には苛烈な拷問が待っていたという。そして、彼らが必ず、定期的な血液検査を受けさせられていたことも知る。
やがて、ガットマンは悟るようになる。――この裏には巨額の金が動いている……。
数ヵ国での面接調査も佳境を過ぎ、ロンドンにもどったガットマンは英国議会で一般市民を交え、中国での法輪功弾圧と、臓器狩りの可能性に関しての報告会を開いた。
「無実の罪で捕らわれた法輪功信者は暴力で拘束された。そして転向を拒んだ信者は処刑され、臓器を取り出されている。この裏では巨額の金が動いている可能性がある。摘出された臓器は、人体売買の市場に供出されているかもしれない……」
中国での調査結果を報告している途中、会場から、さっと一本の手が挙がった。
「その手術を、私がやりました」
そう発言して会場を驚かせたのは、新疆自治区出身のウイグル人医師、エンバー・トフティだった。
86年に医師免許を得たトフティはウルムチ市の中央鉄道病院でおよそ10年間、外科医を務めていた。欧州に移住する直前、九五年の出来事だった。病院のなかで野外手術の特別チームが組まれ、トフティもその1員に選抜された。そして、銃殺刑の現場に立ち会わされたのである。
「通常の銃殺刑では、死刑囚の左胸を狙って銃弾が撃ち込まれますが、このときはなぜか右胸を狙って弾が撃たれました。つまり心臓が動いており、囚人はまだ生きていたのです。その生きたままの生体から素早く肝臓と腎臓を取り出すよう、上司から命じられました。上司は摘出された臓器を特殊な箱に入れてどこかに運んで行きました……」
トフティは現場状況をそのように語った。 しかし中国にいた時の彼は、良心の呵責を感じることはまったくなかった――という。それが、西洋社会に移住してトフティの価値観ががらりと変わった。
「自分がとてつもない罪を犯していたことに、遅ればせながら気づいたのです。何年も罪の意識に苛まれる日々を送りました」
ガットマンによる報告会があるのを知ったのはそんな頃だった。
「おなじ人間と思っていない」
両デイビッドよりひと足早く10月半ば、トフティはガットマンとともに来日し、中共政府によってウイグル地域で行われている核実験被害を訴えるシンポジウムに出席していた。
以下は、シンポジウムの後、筆者とのあいだで交わされたインタビューの一部である。
――核実験の被害同様、ウイグルでは人体実験の被害も深刻だ。
トフティ 1964年10月、ウイグルのロブノールで最初の核実験があって以来、46回の実験が行われた。半分は地上で、半分は地下で実施された。これによって深刻な環境汚染と健康被害がもたらされた。多くの奇形児が生まれた。核だけではない。80年代には生物化学兵器の実験が行われ、90年代からは移植手術のための臓器狩りと人体実験がはじまった。
――つまり、法輪功信者に対する臓器狩りより早くはじまった?
トフティ 間違いない。初期の人体実験はウイグルでスタートしたと考えられる。ここで実験を繰り返して技術を磨き、2000年代に入って法輪功の豊富な臓器源を得ると、「移植手術のための素晴らしい技術と設備」を謳った、まるでリゾートホテルのような病院の広告をばら撒きはじめた。
――彼らはなぜそうも残忍になれるのか?
トフティ 我々が異民族であり、異教徒だからだ。中共政府は我々をおなじ人間と思っていない。異人種であり蛮族の土地だと思っているからこそ、放射能で汚染しても臓器を掠め取っても平気でいられるのだ。
ガットマン 90年代の半ばより、ウイグルでは処刑場で手術用のワゴン車を見かけることが日常的になったという。老い先長くない共産党の老幹部の生命を救うため、無辜の若者がつぎつぎと犠牲になっていったのだ。そして儲けた金で彼らは自分の子供や孫をアメリカに留学させ、最高レベルの教育を受けさせている。
――海外からの移植ツーリズムがはじまったのは、いつ頃からか?
ガットマン 2005年前後であると思う。この頃には、年間で6万から10万件の手術が可能な移植センターが各地に整った。手術を受けに海外から患者が訪れると、通常はおよそ2週間で適合する臓器が見つかるという。移植医療学界の常識ではあり得ないことが、中国では起こっている。つまり、これは医療ではなく産業であり、移植ビジネスであるとしか言いようがない。その後、中国医学界は、「今後移植手術は自発的なドナーから提供されたものだけに限る」と発表したが、これも言葉だけだった。
イーサン・ガットマンは世界各国に散った関係者を探し、面会を求めた。元大臣、強制労働所の所長、警官、強制労働所を経験した法輪功信者、ウィグルやチベットの少数民族、そして中国の医療関係者や法律家……。120人以上の関係者に直接取材した彼のレポートは、2014年、『Slaughter(虐殺)』として一冊にまられ、アメリカで出版された。マタス、キルガーの両デイビッドの著書との違いは、ウイグルとチベットの少数民族にへの言及と取材がなされていること、そして、法輪功信者を含め、より多くの生の声を拾い上げていることだろう。
日本の“協力”
12月1日、参議院議員会館で講演した両デイビッドは、中国の国家犯罪である「臓器狩り」に我々日本人も無関係ではない事実を突きつけた。
「最新報告書では、主に中国の臓器狩り問題と国際社会のかかわりを焦点とした。特に日本に的を絞ったわけではないが、個々の病院を調べてゆく過程で、常に日本に関する情報があらわれてきた」
と、マタスは言う。
例えば、日本人患者を主な顧客の1つに定めた大規模移植病院がいくつかある。
瀋陽の中国医科大学付属第一病院内に設置された中国国際臓器移植センター(CITAC)は中国北東部最大の臓器移植センターだが、移植ツーリズムにおける主な顧客は、第一に日本、第二に韓国である。過去には、ウエブ上に日本語でキャンペーン広告が貼られ、大々的に宣伝されていた。
「私どもの臓器移植センターは、日本で学業を修め、日本文化に通じている数名の医師と看護師長を擁するだけでなく、日本からの患者の方々の便宜をはかり、ほとんどの看護師が日本語を話します。すべての患者の方は、手術後、幹部用の病棟で特別の手当を受けます」
さらに遡ってアーカイブに保存されている2004年9月のウエブサイトでには、以下のような記述もある。
「中国では生体ドナーによる腎移植を行います。日本の病院透析センターで耳にする死体ドナーからの腎移植とはまったく異なります。……日本での死体腎移植に比べ、私どもの移植ははるかに安全で確実です」
また最新報告書は、日本で技術を学んだ外科医が中国の移殖医学界で数多く活躍している様子も伝えている。
例えば、中日友好医院泌尿外科の劉医師は腹腔鏡下ドナー腎採取に中国で最初に取り組んだ医師の1人だが、若き日には日本の九州大学医学部で学んだ。
あるいは、北京大学第一病院の移殖センター主任代理Zhao医師は日本で肝胆外科技術を学び、北京大学初の肝移植に参加した。
南昌大学第一付属医院のYan教授は、臓器移植部門の部長であり、京都大学で生体からの肝移植手術の養成を受けている。
重慶医科大学第一付属医院の移殖部門主任杜医師は肝移植の専門家だが、その技術を京都大学附属病院で学んだ。
……等々、日本で学んだ医師たちが臓器移植に必要な技術を母国に持ち帰って活用している例が数多く紹介されている。つまり、日本の医療技術が現在の中国臓器ビジネスの一翼を担っているのは間違いない。
さらには、日中の医療研究機関が共同研究している例も報告されている。
西京病院臓器移植センターは2000年創立の中国北西部最大の移植医療施設だが、その研究部門は長期に渡って京都大学と提携関係を結んでいる。
中日友好医院の胸部外科部門は70年代に中国初の肺臓移殖を行い、全国的にも上位にランクされている。この病院は日本の大学との共同研究でも知られ、複数の日本人医師に名誉教授の肩書を授与している。
最新報告書によれば、日本の大学その他の医療研究機関と提携している中国の医療施設は他にも多数あり、臓器灌流溶液など移植手術に必要な薬剤が日本から輸出されているケースもあるという。
日本は言い訳できない
それでは、果たしてこれまで日本から何人の患者が、中国で臓器移植手術を受けたのだろうか? ――自民党の長尾敬の質問に対して、厚生労働省の答えは、「わからない」だった。
マタスはこう言う。
「私の見たところ、中国の魔の行いである臓器狩りに関して日本は何もしていない。見て見ぬふりをしている、というより、見ようとしていない。見ようとしない者ほど盲目な者はない」
中国の臓器狩りに関しては、多くの国が共犯関係にある。そして、そのなかに、日本も確実に入っている。それなのに、およそ現代社会ではあり得ないようなこの蛮行を、日本が止めようと努力している形跡は一切見られない。能力がないからではい。技術の面でも、患者の提供という面でも、資本協力の面においても、日本は中国の臓器狩りに関し、「待った」を掛けられる能力を持っている。
日本は、能力がないので行動を起こせないなどと言い訳できる国ではない――と。マタスは言う。
「我々の試算では、この15年間におよそ150万件の移植手術が行われている可能性がある。私はこれが的外れの数字とは決して思わない。中国にとっては、年間数十億の単位でドルを稼げる産業だ。容易にこれを手放しはしないだろう。我々にまず出来ることは、魔の行いである中国の臓器売買の共犯者にならないことだ。たとえ代金と引換であっても移殖手術に必要な器材や薬剤、そして技術を中国に渡さないこと、中国に移植患者を渡航させないこと、そして、中国の人体産業に資金を提供しないことだ」
しかしながら、日本はこの点で決定的に遅れを取っており、追いつくための努力もほとんどしていない。中国の横暴は許さない――と、敢然と対峙して彼の国を沈黙させた安倍外交に続き、我々は民間の力でそれが出来るはずである。❏
*猶、独立系製作会社が撮影し、イーサン・ガットマンが進行役を務める臓器狩りについての最新ドキュンメンタリー『HARD TO BELEAVE(知られざる真実)』の日本語字幕付きDVDがamazonで入手できる。日本販売元は、自由社。